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吉田初三郎(よしだ・はつさぶろう。1884 - 1955)。京都生れ。
日本の伝統的な鳥瞰的図法に西洋のそれを加味し、独特の観光鳥瞰図を創造。
大正時代の「観光ブーム」やマスコミの拡販戦略に乗って、数多くの観光鳥瞰図を作成した。
近年,再評価の動きが高まりつつある、特異な「絵師」の画業をたどる。
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和辻春樹(わつじ・はるき。1891 -1952)。
昭和13(1938)年に三菱重工長崎造船所で進水した〈あるぜんちな丸〉は、戦前期を代表する豪華商船であった。1万2000トンクラス、速力約21.5ノットの、この客船の設計者が和辻春樹。
しかし、戦争の勃発により特設空母〈海鷹(かいよう)〉に改装され、ついには大破擱座してしまう…。
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木村荘平(きむら・しょうへい。1840 - 1906)。山城国宇治田原生れ。 文明開化による「牛肉ブーム」に乗り、外食チェーン店の草分け牛鍋〈いろは〉王国を築いた男。
妻妾に、小説家の木村曙、荘太、画家の荘八、映画監督の荘十二を生ませたが、王国は一代でで没落への道をたどる。
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藤田嗣治(ふじた・つぐはる/つぐじ。1886 - 1968)。東京生れ。
ピカソ、モディリアーニなどと親交をもち「エコール・ド・パリの寵児」と謳われた藤田は、また「戦争画の大家」だった。
藤田にとって「戦争画」とは何だったのか? 画業を通じて「戦争」と「絵画」との関係を問う。
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鳥潟右一(とりがた・ういち。1883 - 1923)。秋田県生れ。
日本の電気通信技術をリードした逓信省電気試験所の技師として、世界最初の無線電話〈TYK式無線電話〉を発明。その後、科学技術の産業化を図るが、41歳での死はそれを許さなかった。
可能性を十全には開花できなかった、有能な技術者が目指したものは何だったのか。
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青山士(あおやま・あきら。1878 - 1963)。静岡県生れ。
青年時代にパナマ運河建設に参加した青山は、日本での土木工事の機械化を図る。
荒川放水路、信濃川大河津分水路補修工事を指導した青山は、同時に内村鑑三の弟子でもあった。
「人類のために文化的記念物を残す」べく、土木の道を歩んだ技師の生涯を描く。
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